佐藤和枝

旅行が好きなので時間があれば行きたいと思っている。

しかしコロナの感染拡大で、気ままに旅行に行けないのが残念だ。

 

美しい棚田の夕焼け、伊豆や安曇野のワサビ田は印象深いが、昨今の異常気象で土砂崩れ等の被害にあったニュースを聞くと心が痛む。

 

国内旅行で一番感動したのは上高地だ。

最初に行ったのは40年くらい前だったと記憶している。

天候に恵まれたこともあるが、青い空の下の河童橋から眺めた、堂々とたたずむ穂高連峰の雄大な美しさに足がすくんだ。今でもあの空気感、音楽のような白樺の葉擦れの音や川の流れは記憶に残る感動の一つだ。

これは紛れもなく幾千年幾万年の悠久の時を刻んでできた景色であり、その長さ故に心が動かされるのだろう。

 

上高地の美しさは分解することはできない。

別の川に河童橋と白樺の木を持ってきても上高地にはならない。

穂高、梓川、神通池をバラバラにして分けることはできない。全体だから美しいと感動する。

上高地は悠久の時間をかけて自然が作り出した産物で環境が守ってきた。

故に、上高地は人の心を動かすだけの存在意味がある。

 

ドラッカーは、著書の中で「生態系は全体として観察し理解しなければならない。部分は全体との関係において存在するに過ぎない。生物いわゆる自然界のプロセスは、部分はなく全体は全体であり部分を合計しても全体にはならない」と言っている。

 

美しい自然の姿を全体として守るには、地球上で広がっている環境破壊を止めなければならない。