NPO未来化プロジェクト  代表理事佐藤和枝

 バレンタインデーは、チョコを渡す側でしたか? 受け取る側でしたか? それとも自分の為でしたか?

今どきのバレンタイン事情を調べると、金額のトップは自分チョコ、渡す相手のトップは家族でした。では、どうやって渡すのか気になる所ですが、10代は教室や相手の家の玄関でさりげなく渡すのが多いようです。しかし、家まで行くっていうのは勇気がいりますね。

お世話になった人に贈るお歳暮やお中元は宅配が主流になりましたが、さすがバレンタインチョコは手渡しが多いようです。

大切な人に「モノ」を渡す方法を考えたとき、私の幼いころに、母と一緒に届けたお歳暮の思い出がよみがえりました。

東海道本線が電車化されたころの、遠い昔の事です。私は幼いころから、毎年夏と冬には、田舎の母の実家に妹と何日か滞在していました。いつも母は私たち姉妹を実家に届けると、その日の内に帰っていました。

ある年の暮れ、母は着物に羽織という改まった服装をし、その腕には風呂敷に包まれた老舗の和菓子屋の菓子折りがありました。

母と二人で母の実家を出たのは夕暮れ時で、母の一歩後を歩いたような気がします。

山に囲まれた田舎の日暮れは早く、まだ舗装されていない街道沿いにポツンと建つ「よろず屋」の薄暗い電灯をみながら、畑や雑木林を抜けて、生垣で囲まれた1軒の家についた時は、あたりはすっかり暗くなっていました。

薄明かりが漏れている玄関の前で「ごめんくださいまし」と、母は声を掛けましたが、母の声は少しばかりいつもと違い、気取った声のように聞こえました。

玄関を開けるとそこは広い土間になっていて、いかにも田舎の家という風で、微かに味噌や醤油の匂いがし、ぼんやりと電灯がついている座敷にこの家の主人と、私より2つ3つ年上の兄弟らしき子供が二人火鉢を囲んで座っていました。

母は、この家の主人に向かって日ごろのご無沙汰を詫び、この1年のお世話になったお礼と、引き続き来年も宜しくお願いしますと、いうようなことを言って、風呂敷の結び目をさらりと解いて、菓子折りを上り口の板の間に置きました。

その家のご主人のことは、あまり記憶に残っていないのですが、2人の子供が三つ指揃えて、きちんと挨拶をした姿は鮮明に覚えています。

モノを贈る行為は時代とともに変わってきましたが、心を渡すことを忘れてはいけないと改めて思いました。